南アメリカ インカ帝国

南アメリカの古代文明インカ帝国 古代文明

インカ帝国は、南アメリカに存在した先コロンブス期の大帝国でした。インカ帝国の歴史は紀元前13世紀頃に始まり、約300年後の15世紀頃にはペルー地方に拡大し、最盛期には現在のペルー、エクアドル、ボリビア、アルゼンチン、チリ、コロンビアの一部を支配していました。

インカ帝国は、信仰、文化、科学、技術、農業、道路建設など、様々な分野で進歩を遂げ、特に道路や橋などのインフラストラクチャーの建設に優れていました。また、タンタ・インティ(太陽神)を中心とした多神教を信仰しており、多くの人々によって信仰されていました。

インカ帝国の社会構造は、皇帝であるサパ・インカを頂点として、貴族階級や神官、軍人、技術者、農民などの階級がありました。インカ帝国は、人々を過酷な労働に従事させることが多かったとされていますが、同時に公共事業や福祉制度にも力を入れていたことが知られています。

16世紀にスペイン人に征服されるまで、インカ帝国は南アメリカの大部分を支配していた強大な帝国であり、文化や歴史に大きな影響を与えました。

インカ帝国の遺跡

代表的な遺跡としては、マチュピチュ、クスコ、サクサイフマン、オジャンテアンボ、ピサックなどがあります。

空中都市マチュピチュ<世界遺産>

マチュピチュは、ペルーのクスコ地方にある山岳地帯に位置する、インカ帝国の遺跡の中でも最も有名な遺跡です。この遺跡は、インカ帝国の首都クスコから離れた場所にあり、紀元15世紀に建造されたとされています。

マチュピチュは、人々が住んでいた集落と、宗教的な儀式が行われた聖域からなり、その建造物の数々は精巧な石積み技術によって造られています。
カミソリの刃一枚入らないと言われる精巧で美しい石組みの建造物は、多くの人を魅了し続けています。

マチュピチュは、1983年にユネスコの世界遺産に登録されました。

インカ帝国の首都 クスコ

クスコは、かつてインカ帝国の首都だった都市であり、今でも多くの遺跡が残されています。クスコは、現代のペルーの南部に位置し、標高3,400メートルのアンデス山脈の中にあります。

クスコの遺跡には、インカ帝国時代の建造物や遺物が数多く残されています。例えば、サクサイフマン遺跡クスコの要塞クスコ大聖堂、クスコの主要な広場であるプラサ・デ・アルマスなどがあります。これらの建造物は、石灰岩で建てられており、その技術と精度は驚異的です。

また、クスコ周辺には、マチュピチュ遺跡モロソの遺跡など、多くの有名なインカ遺跡があります。これらの遺跡は、インカ文明の豊かな文化遺産を物語っています。

サクサイフマン<世界遺産>

サクサイフマンは、世界遺産にも登録されているインカ帝国の遺跡です。
サクサイフマンは、クスコ近郊に位置しており、標高3,799mの山の上に建てられています。

サクサイフマンは、15世紀にインカ帝国の第9代皇帝パチャクテクによって建てられたと考えられています。遺跡の中心部には、大規模な石造りの要塞や宮殿、神殿があり、その美しさと緻密さは驚くべきものです。また、遺跡内には水路や灌漑システムなどの技術的な進歩も見られます。

サクサイフマンは、インカ文明の傑作であると同時に、天文学や数学、建築などの分野での知識や技術が集結した場所でもあります。この遺跡は、現代の建築家やエンジニアにも影響を与えており、世界中の観光客にとっても魅力的な観光地となっています。

インカ帝国の文化

インカ帝国の文化を紹介します。

  1. 宗教:インカ帝国の宗教はポリティカルな要素が強く、統治者であるインカ皇帝自身が神格化され、人々から崇拝されていました。また、太陽神をはじめとする自然崇拝が行われており、これらの神々に捧げ物を行うことが重要視されていました。
  2. 言語:インカ帝国では、ケチュア語という言語が話されていました。この言語は現在でもアンデス地域で広く話されています。
  3. 農業:インカ帝国は、山岳地帯に位置していたため、農業に特化した文化でした。テラス畑を利用して、農業を行い、トウモロコシ、ジャガイモ、キノアなどを栽培していました。
  4. 都市計画:インカ帝国は、高い建築技術を持っていたことでも知られています。都市は計画的に建設され、道路網も整備されていました。また、マチュピチュなどの遺跡は、その美しさや技術的な優位性から世界的に有名です。
  5. 社会制度:インカ帝国では、集中統治が行われており、全土を支配する統治者であるインカ皇帝を中心に、王族や聖職者、貴族などの階級制度が存在していました。また、社会全体が共同体として機能しており、貢納制度などが取り入れられていました。

インカ帝国は、その高度な文明や技術力、社会制度などが注目され、現代でも多くの研究が続けられています。

インカ帝国の財宝

インカ帝国の財宝については、その存在自体が謎に包まれています。

スペイン人が南アメリカに到来してから、インカ文明は破壊され、その財宝も略奪されたため、その多くは失われてしまった‥と考えられています。
一説によると、インカ帝国は金や銀、宝石などの豊富な財宝を蓄えていたとされています。マチュピチュやクスコなどの遺跡からは、高度な技術を持つ工匠たちが作り出した美しい金属工芸品や織物などが発掘されています。

しかし、これらの財宝が現在どこにあるかは分かっていません。一部はスペイン人によって持ち去られ、また、多くは略奪され、売り払われたり、地下に隠されたまま忘れ去られたりしてしまったと言われています。

エルドラド

「エルドラド」とは、スペイン語で「黄金の都市」を意味する言葉です。

この言葉は、16世紀から17世紀にかけて、南アメリカのアンデス山脈地域にあると信じられていた、大量の黄金を含む都市を指して使われていました。

エルドラドは、スペイン人征服者たちが南アメリカを征服するために、その探索に駆り立てられた伝説的な都市の一つでした。彼らは、この都市を発見すれば、膨大な富を手に入れることができると信じていました。

インカ帝国の財宝とエルドラド‥無関係ではないと思えますよね。

インカ帝国の滅亡

インカ帝国は、スペインの征服によって滅亡しました。

1532年、スペイン人征服者のフランシスコ・ピサロが、インカ帝国の支配者アタワルパを捕らえ、インカ帝国を支配するために利用しました。

ピサロは、アタワルパを拘束した後、彼を処刑し、インカ帝国を弱体化させました。スペイン人征服者たちは、地元の支配者たちを利用して、インカ帝国を征服しました。彼らは、インカ帝国の多くの財宝を略奪し、スペインに持ち帰りました。

この征服により、スペインは新世界における植民地支配を確立し、南アメリカの多くの地域を支配するようになりました。インカ帝国の滅亡は、南アメリカの歴史に大きな影響を与えました。

インカ帝国 ‥所感

インカ帝国が遺した遺跡魅力的なもので、私自身もその素晴らしさに感動を覚えました。

インカ帝国の遺跡の代表的な遺跡「マチュピチュ」を知ったのは中学生の時でした。
山岳地帯の断崖絶壁に位置する都市跡であり、建設当時の技術力に驚嘆せずにはいられませんでした。
インカ帝国の遺跡は、現代の技術でも解明が難しい点が多く、未だに多くの謎に包まれていることも魅力的だと感じる要因です。

一説によると、インカの民は日本人と同じモンゴロイドだと言われています。
同じ祖先をもつ人々の遺跡‥と考えると、感慨深いものがあります。

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