旧約聖書 創世記の伝説の塔「バベルの塔」

旧約聖書伝説の塔バベルの塔 古代文明

バベルの塔とは

バベルの塔は、旧約聖書の創世記に登場する物語で、人々が一つの言葉を話すようになり、塔を建てて天に届けようとしたが、神が彼らの計画を妨げ、人々の言葉を混乱させて、建設を中止させたというものです。
物語によると、バベルの塔は、シュメール人とアッカド人によって建設されたもので、天に届くほど高く、しっかりとした建造物であったとされています。しかし、神が人々の計画を阻止するために、彼らの言語を混乱させ、それぞれが別々の言葉で話すようになったため、意思疎通ができずに建設をやめてしまいました。通説では神が塔を破壊したという解釈もありますが、創世記では言葉を乱して建設をやめさせたとされています。

この物語は、文化や言語の多様性が存在することの重要性を表しており、また、人々が自分たちの力で天に到達しようとする驕りや傲慢さを警告する意味も持っています。

バベルの塔 建設の目的

旧約聖書において、バベルの塔を建設した目的については、いくつかの解釈が存在します。一般的には、以下のような解釈がされています。

1.神に近づくための建造物として建設された
バベルの塔は、神に近づこうとする人々の意図で建設されたとされています。旧約聖書によると、人々は「神の名を天に高く聞かせ、地の果てまで自分たちの名をとどろかせる」ために、塔を建設しようとしたとされています(創世記11章4節)。

2.都市の象徴として建設された
バベルの塔は、都市国家の象徴として建設されたという説もあります。当時のメソポタミア地域では、都市国家が相次いで興り、互いに勢力争いをしていました。バベルの塔が建設された場所も、バビロンのような都市国家であったとされており、塔がその都市の象徴として建設されたとも考えられています。

3.偉大な王の記念碑として建設された
バベルの塔は、偉大な王や支配者の記念碑として建設されたという説もあります。当時のメソポタミア地域では、王や支配者が自らの業績を讃えるために、記念碑や神殿を建設することが一般的でした。バベルの塔も、同様に偉大な王や支配者によって建設されたとする説があります。

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バベルの塔考察

バベルの塔は、旧約聖書の記述に基づく伝説的な建造物であり、現在までにその存在が証明されたわけではありません。また、この物語が歴史的事実であるかどうかも議論が分かれています。

バベルの塔が実際に存在した場所については、諸説ありますが、一般的には古代メソポタミア地域のバビロン(現在のイラク)にあったとされています。
この地域には、古代文明の遺跡が多数残されており、その中には、神殿や塔の遺跡も含まれています。また、バビロンは、バビロニア王国の首都として栄え、古代世界でも有数の都市として知られていたため、バベルの塔がこの地に存在したとする説が有力視されています。

一方、古代メソポタミア地域には多くの塔や神殿が建設されており、バベルの塔が実在した可能性はあるとされています。しかし、その場所や形状については諸説あり、明確な証拠が見つかっていないため、現代でもバベルの塔の存在については議論が分かれています。

バビロニア王国

バビロニア王国は、紀元前18世紀から紀元前6世紀まで存在した古代メソポタミアの王国です。
初期のバビロニア王国は、南メソポタミアに位置する都市国家バビロンを中心に発展しました。その後、紀元前18世紀にはアムル人のハンムラビによって統一され、バビロニア王国は最盛期を迎えました。
バビロニア王国は、ハンムラビの法典として知られる法典を制定し、統一国家としての基盤を築きました。また、水利施設の整備や都市の拡張にも力を入れ、農業生産の増大に貢献しました。
バビロニア王国は、外交政策にも熱心であり、周辺地域との交易や同盟を築いていました。

エ・テメン・アンキ ~天地の基壇~

バビロニア王国には、神々との交信や神々の信仰の中心地として、多数の神殿や塔が建設されていました。その中でも特に有名なのが、エ・テメン・アンキ(「天地の基壇」の意味)と呼ばれる巨大な塔で、これがバベルの塔のモデルになったとする説があります。
エ・テメン・アンキは、バビロニア王ネブカドネザル2世によって再建され、高さが90メートルにも達していたとされています。この塔は、天文学や占星術の研究に使用される場所でもありました。
また、バベルの塔が建設された目的が、神々への到達や天空への挑戦であったとされることから、バビロニア文化においても、神々との接触を目指すことが重要視されていたと考えられています。
つまり、バビロニア王国にはバベルの塔と直接的に関わる記述はありませんが、バビロニア王国における神殿や塔の建設が、バベルの塔の建設に影響を与えた可能性があると考えられています。

バビロニア文化

バベルの塔が建設された時代は、古代メソポタミア地域におけるバビロニア文化が栄えていた時代とされています。
バビロニア文化は、紀元前18世紀から紀元前6世紀にかけて繁栄した文明で、都市国家や帝国の成立、法律の制定、神話や文学の発展などが特徴でした。また、農業や商業も発展し、多様な交易が行われていました。
この時代のバビロニアでは、多神教が信仰されており、神々と人々の関係が重要な位置を占めていました。バベルの塔の物語にも、人々が神に近づこうとするというテーマが含まれており、当時の人々の信仰心や神への畏敬の念が反映されています。

バベルの塔 まとめとして ‥所感

バベルの塔については、記録や遺物が見つかっておらず、その存在自体が確証されているわけではありません。しかし、旧約聖書にはバベルの塔についての記述があり、世界各地の伝承にもその名が残っています。
一方で、バビロニア王国にはエ・テメン・アンキと呼ばれる巨大な塔がありました。この塔は、バビロニアの都市バビロンにあったもので、高さが90メートルにも達していたとされています。
エ・テメン・アンキがバベルの塔のモデルになったとする説も上で紹介しました。

私は「エ・テメン・アンキ」=「バベルの塔」とは言えないものの、バビロニア王国で建設していた塔がバベルの塔の可能性はあると考えています。完成はしなかったかもしれませんが‥。

また、旧約聖書の言葉の分裂というテーマの存在がとても心に引っ掛かりました。
バベルの塔の建設において、人々は共通の言葉を話していましたが、それが混乱の原因となったとされています。
言葉が違い、習慣が違い、考え方も違う‥争いが起きる。現在も。。言葉の力や言葉の障壁が引き起こす問題について考えさせられます。

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