シルクロードの交易拠点 パルミラ遺跡

シルクロードの交易拠点パルミラ遺跡 古代遺跡

パルミラ遺跡とは

パルミラ遺跡は、シリア中部にある古代都市遺跡で、ローマ帝国時代に栄えた商業都市として知られています。遺跡は、大規模な石造建築物や円形劇場、葬祭用の塔などから成り、特にバアル神殿(ベル神殿、バール神殿とも記載される)は世界でも世界でも有数の重要な遺跡として知られています。

パルミラは、シルクロードの交易路上に位置しており、東西文化の交流の中心地として発展しました。そのため、遺跡にはローマ帝国の建築様式やシリア文化の影響が見られ、独特の美しさを持っています。

Googleマップより(画像 TerraMetrice、地図データ Google)

パルミラ遺跡は、シリア中部のホムス県に位置しています。遺跡自体は、パルミラ市街地の南西約3キロメートルの地点にあります。パルミラはシリア中部の砂漠地帯に位置しており、周囲は砂漠の広がる美しい風景が広がっています。

パルミラ遺跡の特徴

  1. ローマ帝国とオリエント文化の融合 パルミラは、ローマ帝国の支配下に入った後も、オリエント文化の影響を受け独自の文化を発展させました。そのため、パルミラ遺跡には、ローマ様式の円形劇場や柱廊、オリエント様式の壁画や装飾品が見られます。
  2. バアル神殿 パルミラ遺跡には、「バアル神殿」と呼ばれる巨大な神殿があります。この神殿は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの3大宗教に共通する共通の神「バアル」を祀ったもので、その美しい装飾や彫刻が評価されています。
  3. 砂岩の建造物 パルミラ遺跡には、砂岩を用いた美しい建築物が多数残っています。特に、塔や墓地などの砂岩でできた建造物は、その独特の美しさで知られています。
  4. シルクロードの交易拠点 パルミラは、シルクロードの交易路上に位置しており、東西文化の交流の中心地として発展しました。そのため、遺跡には東西文化の融合した建築物や彫刻が見られます。

パルミラの歴史

パルミラの歴史は古く、シリア砂漠地帯に位置する重要なオアシス都市として知られていました。このオアシスは、フルハーフ川が流れ、農業や商業に適した土地であったため、古代より重要な交易拠点として栄えました。

古代ローマ帝国時代には、ローマ帝国に属する都市として発展し、繁栄を極めました。その際、独自の文化を発展させ、ローマ様式の建築物やオリエント様式の彫刻・装飾品を創り上げました。また、シルクロードの交易路上に位置していたこともあり、東西文化の交流の中心地としても発展しました。

しかし、3世紀にはローマ帝国内部の混乱や異民族の侵攻などがあり、パルミラも危機に瀕しました。その後、ローマ帝国の東西分裂に伴い、東ローマ帝国の支配下に入りますが、その後、イスラム帝国の拡大により、パルミラは徐々に衰退していきました。
その後、19世紀になってパルミラ遺跡が再発見され、世界的に有名な遺跡として注目されるようになりました。

遺跡から読み取れるパルミラの文化

パルミラは、ローマ帝国に属する都市であったため、ローマ帝国の文化や建築様式の影響を受けながらも、独自の文化を発展させました。

例えば、パルミラ遺跡には、ローマ様式の円形劇場や城壁、テンプルなどが残されていますが、それらはパルミラの建築家たちによって、独自のデザインが加えられたものとされています。また、パルミラ遺跡には、オリエント様式の彫刻や装飾品も多数残されており、これらはパルミラの芸術文化の一面を示しています。

パルミラは、シルクロードの交易路上に位置していたこともあり、東西文化の交流の中心地としても発展しました。このため、パルミラの文化には東西文化の融合が見られます。例えば、パルミラ遺跡には、ゾロアスター教の神殿や仏教寺院の跡地も残されており、多様な宗教文化が共存していたことがわかります。

繁栄期には、パルミラの富豪たちは、大規模な公共事業を行い、市内に水道や公共浴場などの施設を整備し、市民の生活を豊かにしました。これらの施設は、パルミラの都市文化の一端を示しています。

以上のように、パルミラ遺跡からは、ローマ帝国とオリエント文化の融合多様な宗教文化の共存都市文化の繁栄など、多面的なパルミラの文化を読み取ることができます。

パルミラ遺跡の破壊

パルミラ遺跡が破壊された主な原因は、2011年から始まったシリア内戦です。2015年に、当時シリア内戦に参戦していた過激派組織のイスラム国(IS)が、パルミラを占領しました。
ISは、パルミラ遺跡内にあった多数の古代建造物や芸術品を破壊しました。

ISがパルミラ遺跡を破壊した理由としては、ISが支配する地域において、多様性のある文化を否定するイデオロギーを持っていたことが挙げられます。ISは、イスラム教以外の文化や宗教を異端視しており、古代遺跡や芸術品を破壊することで、自らのイデオロギーを押し付けようとしていたとされています。

また、ISは、パルミラ遺跡内にあった建造物を破壊することで、世界中のメディアの注目を集め、自らの存在感をアピールする狙いもあったと考えられます。
パルミラ遺跡の破壊は、世界中で強い非難を受け、文化遺産の保護や復旧に向けた取り組みが進められています。

パルミラ遺跡について ‥所感

パルミラ遺跡は、人類が築いてきた偉大な文化遺産であり、その歴史的価値や美しさは世界中の人々に愛され、尊重されてきました。私自身も、パルミラ遺跡の存在や歴史に触れることで、人類の文化や知識がどのように発展してきたかを感じ、その重要性を再認識することができました。

しかし、シリア内戦によるパルミラ遺跡の破壊は、世界中の人々にとって非常に悲しい出来事であり、文化遺産の保護や復旧に向けた取り組みが急務であると感じます。文化財の破壊は、人々が持つ文化的アイデンティティや歴史的な記憶を脅かし、次世代に伝えることができなくなってしまうことを示しています。

このような出来事から、私たちは文化遺産の大切さや保護の必要性を再認識し、世界中の文化財を守るために取り組むことが必要だと思います。パルミラ遺跡を含む世界遺産の美しさや歴史的価値に触れることは、私たちにとって非常に貴重な経験であり、その重要性を今一度考えるきっかけとなってくれると思います。

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