カッパドキアは、トルコ中部にある、独特な地形と美しい景観が広がる謎が多い古代遺跡です。
この地域には、独自の文化や歴史があり、特に古代文明の遺跡が多数残っています。
カッパドキアは、古代から交通の要所として重要な役割を果たし、その地形の特異性や豊かな資源を背景に、多くの文明が興亡しました。その中でも、フリギア人やローマ人、東ローマ帝国などが代表的です。
カッパドキアには、これら古代文明の痕跡が今も残り、その文化遺産は世界的に有名です。この記事では、カッパドキアに残る古代文明の遺産や文化について探っていきます。
カッパドキアの歴史
カッパドキアの歴史は、古代から始まります。
紀元前3000年頃からこの地には人が住んでいましたが、古代文明が形成されるのは、主に青銅器時代後期からでした。その後、アッシリア帝国やフリギア王国の支配下に入り、その影響を受けながら発展していきました。
紀元前4世紀には、マケドニア王国の支配下に入り、アレクサンダー大王の死後はセレウコス朝、紀元前2世紀からはローマ帝国の支配下に入ります。
ローマ帝国支配下の時代には、カッパドキアは重要な交通の要所として発展しました。
中世に入ると、カッパドキアは東ローマ帝国の領土となり、キリスト教文化が栄えました。
7世紀からはアラブ人の支配下に入り、その後、セルジューク朝やオスマン帝国の支配下に入ります。
20世紀初頭には、カッパドキアはオスマン帝国の一部となり、その後、トルコ共和国が誕生した1923年以降は、トルコの一地域となりました。
カッパドキアに残る古代文明の遺跡
- ゴレメ野外博物館 ゴレメ野外博物館は、カッパドキア地方の中心部にある野外博物館で、洞窟教会や修道院、岩屋住居が集められています。教会内部には、美しいフレスコ画が描かれています。
- デリンピナル地下都市 デリンピナル地下都市は、カッパドキアに残る多くの地下都市の中でも最大級のものです。この地下都市は、4世紀にキリスト教徒によって作られました。8世紀にはアラブ人の侵略から逃れるために、住民がここに避難したとされています。
- ウチサル城 ウチサル城は、カッパドキアの中心部に位置する城跡です。フリギア時代からオスマン帝国時代まで、様々な文明が築き上げたもので、その歴史的な価値は非常に高いものです。
- ユチャゲルメ地下都市 ユチャゲルメ地下都市は、カッパドキアに残る地下都市の中でも最も広く、最も保存状態が良いとされています。この地下都市は、7世紀頃にキリスト教徒によって作られ、1000人以上の住民が生活していたと言われています。
ゴレメ野外博物館の遺跡から見える古代文明の生活と文化
ゴレメ野外博物館には、カッパドキアの中心部にある洞窟教会や修道院、岩屋住居などが集められています。これらの遺跡は、主に8世紀から12世紀にかけてのビザンティン帝国時代に作られたものです。
当時のカッパドキアの人々は、洞窟や岩屋に住居を構え、岩盤に彫られた教会や修道院で信仰生活を送っていました。これらの岩屋や教会の内部には、美しいフレスコ画が描かれており、ビザンティン帝国時代の芸術・文化を知る上でも非常に貴重なものとなっています。
カッパドキアの地下には、当時の住民が避難するために作られた地下都市も多く残っています。これらの地下都市は、各階層ごとに異なる用途が設けられており、食料や水、医薬品などを備蓄していました。そのため、当時のカッパドキアの人々は、自然災害や敵襲から身を守るために、地下都市を利用して生活を維持していたと考えられています。
デリンピナル地下都市から見える古代文明の生活と文化
デリンピナル地下都市は、ローマ帝国時代からビザンティン帝国時代までの数世紀にわたって、キリスト教徒や他の宗教集団の人々が、敵から身を守るために作ったとされています。
デリンピナル地下都市には、階層ごとに広がる部屋やトンネル、井戸、キッチンなどがあり、数千人の人々が居住していたとされています。地下都市は、トルコの中央部の乾燥した気候にもかかわらず、温度が一定で保たれており、室温は常に12度から13度程度を保っています。
人々は、自給自足の生活を送っていました。地下都市内には、食料品の保存庫やトウモロコシや小麦を挽くための石臼、地下井戸などの生活必需品が備えられていました。教会や礼拝所も作られていました。
当時のキリスト教の信仰は、この地下都市での生活にも大きく影響を与えていました。地下都市内の多くの場所には、十字架や聖人の像が刻まれており、それらを礼拝していたとされています。
カッパドキアの神話と伝説
カッパドキアには、数多くの神話や伝説が残されています。
カッパドキアには、天使や悪魔が住むとされる奇妙な地形があります。そのため、カッパドキアでは、古代から天使と悪魔の神話や伝説が存在しています。
有名なのは、天使が地上に降り立ったとされる「ラーレヴァシュの谷」の伝説です。この谷では、天使が天国から地上に降りて、この地で石の家を建て、その後天国に戻ったという話が伝えられています。
また、カッパドキアの地下都市は、伝説上の存在である「デュンゲオン」が作ったとされています。デュンゲオンは、キリスト教徒を迫害したローマ帝国の支配下にあったカッパドキアで、信仰を隠すために地下都市を造ったという伝説があります。この伝説は、地下都市の建造に関する文書が発見されたことからも、ある程度の事実性を持っているとされています。
さらに、ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に登場する怪物「シラゴス」の伝説も残っています。シラゴスは、岩山から出現し、通りかかる人々を襲うとされています。
ラーレヴァシュの谷の伝説
ラーレヴァシュの谷の伝説は、天使が地上に降り立ったとされるもので、カッパドキア地方にある美しい渓谷である「İhlara Vadisi(イフララ谷)」と関連しています。
伝説によれば、かつて天使が地上に降りて、イフララ谷に滞在しました。
天使たちはこの地で石の家を建て、平和に暮らしていました。
しかし、ある日、彼らは天国に戻るらなければならなくなり、建てた家をそのままにして天国へ帰ってしまいました。
その後、地上に住む人々がこの地を訪れ、その美しさに魅了されました。
そして、天使たちが建てた家を発見し、それらを自分たちの住居として使うようになったとされています。
この伝説は、地形の美しさだけでなく、天使たちが建てた家やその後の歴史など、地域の文化や歴史的な側面をも表しているとされています。
シラゴスの伝説
シラゴスの伝説は、かつてこの地に住んでいた人々が、火山活動による災害から逃れるために、地中に作ったとされる地下都市「デリンピナル」の建設にまつわるものです。
地下都市建設にあたっては、優れた技術を持つ職人が必要でした。
そこで、シラゴスという名の職人が呼び寄せられました。
彼は驚異的な技術をもって、地下都市の建設に成功しました。
しかし、シラゴスは彼が持つ技術を他の人々に教えることを拒み、自分の技術が絶えるまで地下都市に留まることを決めました。
彼の技術が失われることを恐れた人々は、シラゴスの名前を地下都市の名前として付け、彼を讃えました。
この伝説は、カッパドキア地方の地下都市の建設にまつわる、人々の技術や知恵の結晶を示すものとされています。また、シラゴスの名前が地下都市の名前となったことから、この地域の歴史的な人物の名前や伝説が、後世にまで残されることを表しているとも言われています。
カッパドキアの文化
カッパドキアの文化の特徴は、その多様性と独自性にあります。この地域は、長い歴史の中で様々な文化的交流があり、それぞれの文化が融合し、独自の文化を形成してきました。そのため、多様な宗教、芸術、建築様式、言語、食文化などがあります。
カッパドキアの地形が独特であるため、岩山や地下都市などの特殊な環境下で発展してきた文化だと言えます。岩山に作られた住居や教会、岩山の彫刻、地下都市など、独特な建築物が多く残っており、カッパドキアの文化を象徴するものとなっています。
また、キリスト教やイスラム教などの宗教的な影響もカッパドキアの文化に反映されています。岩山教会や聖堂、修道院など、独自の建築様式も見逃せません。
さらに、カッパドキアは、長い歴史の中で様々な文化的交流があったため、異なる文化が融合し、独自の文化を形成してきたと考えられます。そのためにカッパドキアの文化は、多様性に富んで、その中には、ギリシャ・ローマ・ペルシャ・アラブ・セルジューク・オスマン帝国などの影響が見られます。
カッパドキアの文化の特徴は、その多様性と独自性にあります。それは、長い歴史の中で様々な文化的交流があり、異なる文化が融合した結果であると言えます。
カッパドキアについて ‥所感
カッパドキアの遺跡は、非常に特徴的で魅力的なものだと感じます。
カッパドキアの遺跡には、岩の中に掘り込まれた住居や教会が多数存在しています。これらの建物は、独特の自然環境に合わせて作られたもので、見た目や内部構造が非常にユニークで興味深いものです。
建築物や彫刻、壁画などには、さまざまな文化の特徴が反映されているのも興味深いところです。フレスコ画は、非常に美しく、細かい描写や色使いされ、特徴的でもあり魅力的でもあります。
カッパドキアは、火山活動によって形成された岩山や谷が独特の驚くほど美しい風景が広がっています。その不思議な美しさに魅了されます。
カッパドキアは、火山灰からできたチュフテティンという非常に柔らかい地質が存在します。それを削って住居や教会を作ったとされていますが、その柔らかい地質が風化することによって、不思議な形状の岩や奇岩が形成されたと考えられています。とても不思議で魅力的な光景です。
私はまだ訪れたことがないのですが、一度は実際に見てみたい遺跡です。