世界の古代文明:イースター島のモアイ像

古代遺跡

絶海の小さな孤島「イースター島」
高さ4m、重さ20tを越えるモアイ像がおよそ900体もある謎に満ちた島。
発掘された一番大きなモアイ像は高さ約10m、重さ約82tと言われ、まだ発掘が終わっていない像の中には、推定の高さが21m、重さが210tのモアイ像があるという研究者もいます。
モアイ像はどのようにして造られ、運ばれたのか。謎の木版ロンゴロンゴ。イースター島の人々がつかえた「マナ」という不思議な力‥非常に興味深い遺跡ですね!

イースター島の概要

イースター島は、マグマの噴出によって造られた火山島であり、75万年前に形成されたとされています。

現地語名はラパ・ヌイ(Rapa Nui)、正式名はパスクア島と言い、チリ領の太平洋上に位置していますが、チリの海岸から3700km、最も近い島でも1600kmも離れている絶海の孤島。交通手段は飛行機のみとされています。
島の大きさは163.6 km²で、佐渡島のおよそ5分の1しかない小さな島です。

位置:南緯27度7分 西経109度22分 下にGoogleマップのLINK有り

上のGoogleマップで見てもらえれば分かるように、まさに絶海の孤島。
モアイ像を造った人々は、この島にどのようにして渡り、そこへ消えていったのか‥

イースター島の人々

移民はオーストロネシア語族の一派(ポリネシア人)だと考えられ、最初にたどり着いたのは、西暦1200年頃という説が有力となっています。(従来、4世紀〜5世紀頃とする説や西暦800年頃とする説が有力だったが、近年の研究では1200年頃とされている)

1722年にヨーロッパ人がイースター島を訪れたとき、当時の現地人は1500~3000人とされていますが、最盛期には18000人程度の人々がこの小さな島に住んでいたとする研究もあります。

イースター島 文明の崩壊

先に述べた通り、最盛期には18000人もの人々が住んでいたとされるイースター島ですが、1722年には1500~3000人と、かなり減少していたようです。
その背景として考えられる説は、人口爆発とともに森林伐採などの自然破壊が進み、土地が瘦せてしまい、食糧不足になった説や、ヨーロッパ人等による奴隷狩りが原因であるとする説、自然破壊ではなく、環境の激変による食糧不足‥等、様々な説がある。

ロンゴロンゴ

ロンゴロンゴ (ラパヌイ語: Rongorongo) は、イースター島で19世紀に発見された謎の木版に書かれた文字ことで、木版の他、ロンゴロンゴの短い文を含んでいると思われるペトログリフも発見されている。

口伝による伝承によると、ロンゴロンゴは少数のエリートのみが使用することができ、文字板は神聖なものであると伝えられている。

文明崩壊後、文字を扱えない島民たちによって、薪や道具として扱われた。そのため木版は僅か26点しか現存せず、その全てが島外に持ち出され、各国の博物館などに収蔵されています。

ロンゴロンゴは現在も研究されているようですが、孤立した文明文字とされ、解明が遅れています。

イースター島の不思議な力「マナ」

イースター島には次のような興味深い伝承があります。

イースター島は昔、雲のような白衣を身に着け、虹に縁どられた王によって治められていた。
彼は「マケマケ」という鳥神を信仰し、それによって島民たちに「マナ」という霊力を授けた。
モアイはこの「マナ」の力で自分で歩いて移動したが、やがて「マナ」の力が滅びてしまい、モアイも歩くのをやめてしまった───。

この伝承に出てくる「マケマケ」を、イースター島に降り立った異星人とする説や、ムー大陸からやってきた人‥とする説もある。
いずれにしても、現代では失われてしまった力があった‥という仮定での考察ですね。現代においてもモアイ像をどうやって運んだのか解明できていないので、何かしらの「神秘的な力」が働いたと考えたくなる人もいるでしょう。

イースター島のモアイ像

モアイ像というと、このページの最初にも張ってある15体が立ち並ぶモアイ像を思い浮かべる方も多いと思います。この15体のモアイ像は、イースター島の東端にある最大の遺跡「アフ・トンガリキ」にあり、1994年に考古学者たちが、周辺に倒れていたモアイ像をクレーンなどを使って立て直したものです。

モアイ像の採石(造られた場所)の中心は「ラノ・ララク」と呼ばれる直径約550mの噴火口跡です。現在でも完成していない石像が、彫る道具とともに残されています。

「ラノ・ララク」から島中にモアイ像を運んだと考えると、本当に興味深いですよね。

比較的加工しやすい素材の「凝灰岩」を玄武岩や黒曜石で作った石斧を用い製作されたと考えられています。
モアイ像は最初から同じ形ではなく、時代につれて変化しました。
【第1期】人の姿に近い形。下半身も作られた。
【第2期】下半身がなくなり、細長いがお腹の辺りで組まれている。
【第3期】頭上に赤色凝灰石で作られた、プカオ(髪飾り)が乗せてある。
【第4期】一般にモアイといって想像する長い顔に狭い額、長い鼻、くぼんだ眼窩、伸びた耳、尖った顎、一文字の口といった形状になった。



イースター島及びモアイ像について 所感

イースター島とモアイ像は、歴史的・文化的な価値が非常に高い遺産であり、その存在は人類の創造性や技術力、そして文化の多様性を示す素晴らしいものであると感じます。

イースター島は、自然環境の厳しさにもかかわらず、古代の先住民が自らの文化を形成し、モアイ像を作ったのは驚くべきことですし、その背景を考えれば誰もが感動するのではないでしょうか。モアイ像は、先住民が自らの祖先や神々を崇拝するために建てたものとされており、その制作技術や意味についての研究は、考古学や人類学の分野において重要な知見を提供しています。

また、イースター島の歴史には暗い面もありますが、そのような問題も歴史的価値を評価する上で欠かせない要素であると感じます。人々が過剰な資源利用を行い、環境破壊を引き起こしたことが指摘されていますが、それらの問題を知ることで、今後の保全や研究にも役立てることができると考えます。

総じて言えることは、イースター島とモアイ像は、その歴史的・文化的価値が高く、人類の文化遺産として大切に守られるべきものであると思います。これらの遺産が未来の世代にも伝えられるよう、私たちもその保全や研究に取り組んでいくことが必要であると感じます。
イースター島の環境破壊や文化の変遷についての研究も進められています。環境問題に対する認識が高まる中で、イースター島の過去を知ることで、持続可能な社会を実現するための示唆を得ることができるかもしれません。

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