メキシコ中央部に存在した アステカ文明

古代文明

アステカ文明の概要

アステカ文明は、15世紀から16世紀にかけて、現在のメキシコ中央部に存在した先コロンブス期の先古典期文明です。アステカ帝国の中心地はテノチティトラン(現在のメキシコシティ)で、その領域はメキシコ高原を中心に広がっていました。

アステカ文明は、戦争と犠牲を中心とした宗教的儀式、複雑な社会階級制度、洗練された農業技術、そして巨大な都市と建築物などで知られています。強力な軍事力と貿易ネットワークを構築し、多数の都市国家を征服し、強大な帝国を形成しました。

アステカ文明の神話や宗教は、人々の生活に深く根付いており、人身御供を含む多くの犠牲儀式が行われていました。また、カレンダー数学においても高い水準を達成し、天文学農業建築医学などにおいても進歩的な技術を発展させました。

しかし、16世紀にスペイン人征服者たちが到来し、アステカ帝国は滅亡しました。征服者による破壊的な侵略、病気、戦争によって壊滅的な打撃を受けました。アステカ文明は、その高度な文化と技術の発展にもかかわらず、短命に終わったと言われています。

アステカ文明の遺跡

チチェン・イッツァ

アステカ文明の主な遺跡には、以下のようなものがあります。

  1. テオティワカン:メキシコシティ北東部に位置する古代都市。ピラミッドや神殿、住居跡などが残されています。
  2. テノチティトラン:現在のメキシコシティに位置するアステカ帝国の首都。テンプロ・メヨールや宮殿跡が残されています。
  3. チチェン・イッツァ:メキシコ半島ユカタン州にあるマヤ文明の都市遺跡。アステカ文明とは異なりますが、重要な文化交流が行われていたため、アステカ文明の影響も見られます。
  4. モンテ・アルバン:メキシコ南部オアハカ州にある古代都市。アステカ文明とは別のオアハカ文明の遺跡ですが、同時期に栄えていたため、文化的に関連があります。
  5. トラテロルコ:メキシコシティ南部にあるアステカ文明の都市遺跡。コンクエスト以前には、メキシコ盆地における最大の都市の一つでした。

これらの遺跡は、アステカ文明が栄えた紀元前14世紀から16世紀にかけての様々な時期に建設され、文化的・歴史的な重要性が高く、現在も多くの観光客が訪れる場所となっています。

アステカ文明の天文学

アステカ文明は太陽、月、金星、火星、水星、木星、土星などの惑星に関する多くの知識を持っていました。特に太陽に関する知識は非常に重要で、アステカ暦の大部分は太陽とその動きに基づいています。

アステカ暦は、太陽の年、月、週、日を計算する複雑な暦でした。太陽の年は、太陽が一定の位置に戻るサイクルを表しており、18か月の周期で構成されています。それぞれの月は20日間で構成されており、18か月×20日=360日で、さらに5日の追加日を加えた365日で1年を構成していました。

アステカ文明の天文学は、儀式や祭りにも大きな影響を与えました。例えば、太陽の動きを観察して、祭りや儀式を行う日を決定しました。また、アステカの神々の多くは天体と関連しており、天文学的な観察に基づいて神々に捧げる儀式を行いました。

アステカ文明の天文学は非常に高度で、現代の天文学にも貢献するほどの知識を持っていました。

アステカ文明の天文器具

アステカ文明が使用していた天文器具には、特徴的なものがありますので紹介します。

  1. ソレノイドン – 太陽の運行を観察するための円形の天文器具で、太陽がどの方向から昇るかを観察することができます。
  2. テンポスコポ – 太陽や惑星の位置を観測するための器具で、中心に穴の開いた円盤状の器具でした。天体の位置を観察するために、中心の穴から光を通し、円盤の周りに刻まれた目盛りを使って測定しました。
  3. トノアロアトル – 太陽の位置を観測するための木製の三角錐状の器具でした。器具の一方の側面には、正確な天頂角を示すために、中心に穴が開いていました。
  4. シックメトル – 精密な天文観測に使用された、ギアや歯車で構成された複雑な器具でした。シックメトルは、月や惑星の運行、そして天文現象を観測することができました。

アステカ文明 2つのカレンダー

アステカ文明には、複数の種類のカレンダーが存在しましたが、最も重要なものはトウィトルカリ(Tonalpohualli)と呼ばれる260日間の神聖なカレンダーと、ツォルキン(Xiuhpohualli)と呼ばれる365日間の太陽カレンダーでした。

トウィトルカリは、13の数字と20の日の名前を組み合わせた周期で構成されています。つまり、13日が1サイクルであり、20サイクルで260日間を構成します。このカレンダーは、神聖な日々を決定するために使用され、儀式や祭典の日程を決定するために重要でした。

一方、ツォルキンは、18の月(各月20日)と5つの余日からなる365日のカレンダーでした。このカレンダーは、農作物の栽培や季節の変化に関する予測を行うために使用されました。また、ツォルキンには、12の守護神の周期があったため、このカレンダーは、天文学的な予測と宗教的な意味を持っていました。

アステカ文明のカレンダーは、天文学的な知識を基に作られており、宗教的な意味を持っていました。これらのカレンダーは、アステカ文明が優れた天文学者であったことを示しています。

古代メソアメリカ文明とは
古代メソアメリカ文明は、中央アメリカと南アメリカの広い地域に存在した、先コロンブス期の文明です。この文明は、古代エジプト、メソポタミア、インダス文明、古代中国、古代ギリシャ、古代ローマなど、世界各地の文明と同じくらい古い歴史を持っています。
古代メソアメリカ文明には、マヤ文明、アステカ文明、テオティワカン文明、オルメカ文明、トルテカ文明、インカ帝国、チャビン文明、モチェ文明など、多くの異なる文明がありました。これらの文明は、農業、都市化、芸術、建築、数学、天文学、神話、宗教など、多岐にわたる分野で重要な成果を上げました。
古代メソアメリカ文明の遺産には、マヤのピラミッドや天文台、アステカのテンプロ・マヨール、テオティワカンの太陽のピラミッド、オルメカの巨石彫刻、インカのマチュピチュなど、多くの有名な遺跡が含まれています。また、古代メソアメリカ文明は、スペイン人による征服以前には、複雑で高度な社会構造を持っていました。

アステカ文明について ‥所感

私が特に注目したのは、アステカ文明が使用していた天文器具です。アステカ文明は、天文観測に特化した多くの器具を作り上げており、天体の位置を測定するための高度な観測技術を持っていたことがわかります。特に、太陽の位置を測定するために使用された日時計は、その構造や精度の高さから現代の科学技術にも匹敵するといわれています。
また、アステカ文明は、天体を神聖なものとして扱っていたことも印象的でした。アステカ文明においては、太陽や月、金星、火星などは、神々の化身として崇拝されていました。そのため、天体観測は単なる科学的な手法にとどまらず、精神的な意味を持つものとされていたことがわかります。

アステカ文明の建築物に施された細部の彫刻も見逃せません。
アステカ文明の建築物には、神話や伝説、または自然界からインスピレーションを得たと思われる、複雑で美しい彫刻が施されています。これらの彫刻は、アステカ文明の芸術性を示すものであり、建築技術の精密さと、芸術性の高さを両立していることがわかります。
また、アステカ文明は、土木工学や水利工学にも優れた技術を持っていたことがわかります。アステカ帝国は、沼地に都市を建設し、灌漑システムを構築していました。水源の整備や排水システムの整備にも熱心で、現代に残る水路の建造物は、アステカ文明の高度な技術を証明しています。

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